自主ゼミの闇の話

司法試験の話

司法試験を受けるにあたって自主ゼミを組むか組まないか、これは大きな問題です。

ロースクール時代にも周りをみれば自主ゼミを組んで楽しそうに勉強している人が多かった気がします。

しかし、この自主ゼミ、本当に組んだ方がよいのか?自主ゼミの闇について書きたいと思います。

まず、自主ゼミのメリットとしては客観的視点が取り入れられるという点です。この点は司法試験においては非常に大切です。

自主ゼミを組む際にはおそらく論文を中心に勉強すると思いますが(まれに短答もみんなでやる人達もいるのでそれは各自のやり方によりますが)、いくら法律の知識が優れていても論文が相手に伝わらなくては意味がありません。意外と頭が良すぎて何を言っているかわからない人もいるので、自主ゼミにより客観的視点を取り入れて学習することはかなり有効な手段です。

私も自主ゼミによって相手に指摘されて初めて気が付いた文章の癖や論点がたくさんありました。

なので、自主ゼミを組んだ方が良いか組まないほうが良いかと聞かれたら組んだ方が良いと思います。私は組んで良かったと心の底から思っています。

しかしこの自主ゼミという仕組み、闇が深いと思われるのも難点です。

何と言っても人間関係が面倒くさいというイメージがあります。

気心の知れた仲良しの友人との自主ゼミであれば問題はないかもしれません。

しかし、ただでさえ司法試験の勉強をしている人は精神が追い詰められています。受験界隈の閉鎖的環境も相まって精神が不安定になりがちです。自主ゼミという特定人のグループの中で勉強をしていると、どうしてもグループ内での比較が出てきてしまいます。人数が少ないグループであるとかなりウェットな関係が構築され、競争意識や劣等感からトラブルに発展することもあると聞きます。

また、受験において人間関係が面倒になって嫌になったり、メンバー同士の不信感が出てきてしまうこともあるようです。

自主ゼミに限らず人間が集まればトラブルになる確率は高まるため、自主ゼミ特有の闇というよりは社会の闇といった方が良いかもしれませんが。

また、自主ゼミを組む際も大変なことがあります。誰と自主ゼミを組むかという問題です。

友人から聞いた話ですが、その友人は先輩に自主ゼミの話を聞いたところ「自分より頭のいい人と組んだ方が良い」と言われたといいます。

聞けば自分より頭の悪い人と組んだところで学ぶ事は少ないし、あまり勉強にならないからだそう。

しかし、何をもってして頭がいいとするのでしょうか。自分より文章力で劣っているとしても知識は上かもしれないし、逆のこともありえます。成績がふるわなくても論文の弱点の指摘がうまいかもしれないし、他人から何を得られるかは自主ゼミを組んでみないとわかりません。

組む前から「あいつは俺より頭が悪いから組むのはやめておこう」とするのは、その人に対する本当に正しい評価なのか疑問が残ります。

(ぶっちゃけ自分より頭のいい人としかゼミを組まない理論を通すと、誰も自分と組んでくれないという状況になり永遠に自主ゼミなんて組めなくなるのでは?とも思う)

また、自主ゼミが合わないためゼミを解消する際にも一緒に勉強してきた仲間との勉強をやめるわけですからうまく抜けないと禍根が残るようです。

このように、自主ゼミは組んだ方が良いものの、なかなか面倒な仕組みであるとも言えます。ではどうすればいいのか。

不安要素を上げておいて何ですが、人間と協力し合って生きていくことはこの先の人生でも必須であります。人間は面倒くさいな思いつつなんとか折り合いをつけてやっていこうと思うといいのかもしれません。

自主ゼミを何度も組みなおす人も結構いるのでそこまで人間関係についても気にせずにコツコツと勉強していけばよいのかな、と思います。

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